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会について

虹別コロカムイの会設立の趣旨

アイヌ民族は、シマフクロウを「村を守る神」kotan kor kamuy(コタン コロ カムイ)として大変尊敬してきた。その立派な風格と物事をすべて見通してしまうような眼差しは、まさに神にふさわしいものを持っている。

かつては、アイヌ民族の狩猟の場であった虹別原野も、昭和初期以降徐々に開拓が進み、多くの先人の多大な努力によって現在は、阿寒国立公園に隣接し眺望豊かな西別、カムイ両岳を背景に、西別川をはじめとする清冽な河川に恵まれた緑豊かな酪農卿となった。

北海道各地に生息していたシマフクロウは、農地の開発や河川の改修が進むにつれ生息数が激減し、現在では限られた地域で百羽程度がかろうじて生息しているにすぎない。幸いなことに、当虹別地区は魚類豊かな河川・孵化場を持ち、シマフクロウの生息に適した森も残っている。しかしながら、このまま何もしないで手をこまねいていては、恵まれた虹別地域でも絶滅の恐れがある。

私たちはシマフクロウの置かれている現状を憂慮し、少しでもシマフクロウが生存しやすい環境づくりのために、あらゆる努力を払う所存である。

したがって、虹別コロカムイの会は営利や名声を求めず、ただひたすらシマフクロウのために、諸活動を行う。

                                    平成6年4月

※ 阿寒国立公園は阿寒摩周国立公園に名称変更(平成29年8月8日環境省告示第61号)

虹別コロカムイの会の歴史

1993秋、新月の夜、大橋養魚場にシマフクロウのつがいが現れ、鳴きかわした。オス「ボーボー」メス「ボーオッ」。
番小屋で集会(酒宴)中だった舘定宣、大橋勝彦ら7人がその場で〈神を守る〉会を結成することに。
19944月1日アイヌの了解を得て、コタンコロカムイ(集落の守り神)の名称を冠して、「虹別コロカムイの会」が20名で発足した(現在会員数78名)。

標茶町の事業で伐採される樹木261本を重機を用いて移動、廃棄物の処理場跡に植樹。シマフクロウ百年の森づくりがスタート。補助金に頼らず寄付金を会員や篤志家から募った。
三菱UFJ財団ハーモニストファンド、緑ネットワーク、北海道森と緑の会、根室管内さけます増殖事業会が苗木を現物支給する体制をとった。
1995養魚場近くに家畜飼料容器を利用した巣を架け2羽のヒナが巣立つ。2017年までに延36羽のヒナが巣立った。全道で生息数140羽程度とみられるシマフクロウの保護、増殖に大きく貢献している。
西別川河畔に広葉樹ハルニレ、ミズナラ、ハンノキ、シラカバなど植林開始、2017年まで年間に延べ約6,500名が河畔林の回廊づくりに参加。
シンガーソングライターしらいみちよさん(48)を招き『西別川流域コンサート』を以後10年間開催。源流から海に到る川筋に暮らす人々を結びつけた。
2002摩周湖水環境フォーラムを弟子屈、標茶、別海3町の持ちまわりで開くことに。清流の指標とされる水草バイカモ(梅花藻)の繁殖戦略や保水力、川の役割などを学ぶ。
2004自然環境功労者 環境大臣表彰
2005標茶町立虹別中学校が郷土学習の一環として河畔林の植林に参加
2007森を守り緑に親しむ功労者 北海道社会貢献賞を受賞
2009緑化推進運動功労者 内閣総理大臣賞受賞
2010毎日新聞・朝鮮日報社による第19回日韓国際環境賞を受賞
2013湿原と地域とのかかわりをテーマにした公開シンポジウム(京都総合地球環境学研究所など主催)で大橋勝彦事務局長が「シマフクロウ保護へ植林」と題して講演。
2014NHKTV「爽やか自然百景」で会の活動が紹介された。
第1回西別川バイカモ保護対策研究研修会、情報交換会を標茶町親和会館で開催。山形大農学部・菊池俊一准教授が「シマフクロウ保護活動の一環としてのバイカモに対する取り組みについて」講演。
西別川上流のバイカモへのエゾシカ、マガモによる食害を防ぐため保護網を設置
2017独立行政法人環境再生保全機構地球環境基金による助成開始
2018緑の地球防衛基金が助成開始
シマフクロウ百年の森づくりの植林が24周年を迎え、1994~2017年間の植樹面積32㌶、本数は延べ77,000本に達した。
この間、会が設置した巣箱から。ほぼ毎年1~2羽のヒナが巣立ち、1995年以来延べ36羽を数える。